知って得するQ&A
2002年2月15日(金)
Q
笹川賞競走のように人の名前の付いた競走はいくつくらいあるのでしょうか。
A
笹川賞の笹川とは、笹川良一さんのことです。競艇の草創期から競艇業界の発展に寄与して来た人の名前を永遠に忘れないようにしようと「笹川賞競走」が誕生しました。昭和49年のことです。
それまでは全国地区対抗競走と呼ばれるSG(当時はビッグレース)があり、全国6地区から選抜された選手で地区優勝と個人優勝を競っていました。しかし強い地区と弱い地区の格差が大きくなってレースの興味がなくなってきたため、新しいタイトルのSGを作ろうということで、笹川賞競走が誕生しました。
競艇オールスターを銘打ってファン投票を実施しました。SG競走で人名がついているのは、この競走だけです。
地方では宮島に「岩田杯」があります。これは宮島競艇の発展に尽力した広島県モーターボート競走会元会長・岩田さんの功績に感謝するために創設されたタイトルレースです。
秩父宮記念競走、高松宮妃記念杯競走も人名の中に入れることができるでしょう。人名ではありませんが、○○市長賞争奪戦なども人に属するタイトル名です。
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Q
競艇選手になるには1年の訓練を受けなければならないと聞いていますが、昔の選手は本栖研修所に行かず、選手になった人もいたそうですね。本当でしょうか。
A
富士五湖の一つである本栖湖畔に全国モーターボート競走会連合会の本栖研修所が完成したのは昭和41年11月です。選手養成や競艇関係者の定期訓練などに使用するため、本格的な研修施設を建設しました。
競艇が始まった時は各地に選手養成所があり、そこを卒業すれば選手になることができました。昭和31年には選手養成を全国モーターボート競走会連合会で行うようになりました。「連合会養成」と呼ばれるものです。87期とか、期がついているのが連合会養成です。
最初は2ヵ月養成でした。といっても正式の訓練施設がなかったので、各地の競艇場を使って訓練していました。児島で1週間訓練があると、次は徳山に移動して、そこでまた1週間という具合です。
訓練用のエンジンやボートはトラックで運んでいました。十分な訓練資材もないまま選手になったため、レースや整備を覚えるのに時間がかかったといわれています。「10年経って1人前」と言われるほど、新人の活躍の場は制限されていました。
平成13年3月に開校したやまと学校は、実戦と同じ競走水面を持っており、レベルの高い選手養成ができるようになりました。
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Q
各競艇場によって、展示航走でBGMが流れたり流れなかったりしていますが、あの曲はどうやって選曲されるのでしょうか。
A
競艇場にはいろいろなBGMが流されています。舟券発売中に流されることもあれば、レースの待機行動中にBGMを流す場もあります。レースの実況中継が盛んでなかったときには、待機行動中にもBGMを流す競艇場がありました。
レース中はありませんが、展示航走が始まるとBGMが流れます。SG競走では選手のテーマ曲を作って流していますが、これは6年前の賞金王決定戦競走から始まりました。
BGMは流す時間によって管轄が違っています。舟券発売に関する時は施行者、競走運営は競走会の管轄です。選曲も管轄の責任者が決めることになります。業者があらかじめ何曲か選んでおいて、そこから選択する仕組みです。
選手のテーマ曲は、賞金王決定戦競走に出場した選手ごとにオリジナル曲を作っているものです。制作を担当している会社は東京の「株式会社あんさんぶる」で、競艇に精通したスタッフが選手の雰囲気に合った曲作りをしています。
ベテラン選手はイメージが固まっているので曲作りは比較的楽にできますが、若手選手はなかなかイメージが沸いてこないといった苦労もあるそうです。

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Q
競艇MVPはどのようにして選ぶのでしょうか。ファンが投票することはできないのですか。
A
優秀選手の表彰制度が誕生したのは昭和51年からです。第1回の最優秀選手には野中和夫選手が選ばれました。その年の野中選手は最高勝率選手、最多優勝選手、競艇記者大賞も受賞する活躍ぶりでした。女子部門も同時に表彰されていました。
その後、最多賞金獲得選手が設けられ、最多優勝選手が最多勝利選手に変更になるなど改正もありましたが、基本的には変わっていません。
優秀選手の選考方法は、優秀選手表彰規程による選考委員会を設置し、委員会答申という形で決定します。競艇記者大賞は、全国の競艇記者クラブ加盟の記者投票によって選出された選手が受賞します。
ファン投票は現在のところ行われていません。スポーツ新聞の記者がファン代表と考えたらいいでしょう。笹川賞競走ではファン投票があります。これで1位に輝いた選手が、ファンの選んだ最優秀選手ということになります。
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Q
小野桜選手はヘルニアで本栖を一度退所して、また入所とありました。年齢や受験回数が大丈夫なら何度も入所することが出きるのでしょうか。
A
市川哲也選手は8回目の受験で合格して競艇選手になりました。愛知の花田和明選手は10回受験しています。受験資格さえ満たしていれば何度でも受験できますが、これは1次試験についてだけです。
1次試験に合格すると、次に適性検査などの2次試験があります。これに合格して初めて研修所に入ることができます。
研修所を一度退所してもう一度入りなおした選手は、小野桜選手や静岡の池田浩美選手をはじめ男子選手にもいます。
訓練中のケガなどで養成が受けられなかった選手は、次の期に編入されてデビューします。選手負傷のために長岡茂一選手は1期、一色雅昭選手は2期遅れて卒業しました。
選手になるには選手登録試験に合格しなければなりません。登録試験に落ちて次の期まで待って再試験を受けた選手もいます。
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